これで最後。川越龍王戦
By Yukio Kozakai


さて、川越と朝霞台で行われている“龍王戦”。その川越開催が今回で最後となった。本稿では、川越と埼玉MTGのゆかりと歩みについて、簡単に振り返ってみた。

今回で最後の開催となる理由は、会場である「川越福祉センター」の老朽化による取り壊しだ。数年前からその話は上っていたのだが、県から市へと管轄が変えられたりと存続へ向けた動きが続けられてきたが、この3月で閉鎖となることが決定し、それと同時に龍王戦の川越撤退も決まった。


会場外観。これで見納め、長年に渡りお疲れ様でした。

MTGにおける川越での歴史は深い。

龍王戦が同会場を開催地として選んだ背景には、前身にあたるMTGトーナメントが開催されていたからだ。当時、川越周辺のMTGプレイヤーを束ねていた時田氏による、通称「くらげ杯」こと「小江戸杯」。所沢で開催されていたトーナメント「方舟盃」のジャッジとして活躍していた綱島氏主催の「川越杯」など、1998年から川越での公認トーナメントは続いていた。実働はもう少し短くはなるが、実に10年の間に渡って埼玉のMTGを支えてきた地域なのだ。

上記3つのトーナメントがその活動を終え、埼玉から100人規模のプレイヤーを集められる大型トーナメントが消滅した。プレイヤーとしても人間としても成長させてくれたMTGに対しての恩返し、そして、埼玉でここまで育ったMTGの葉脈を絶やしてはならないとの思いから、筆者は新たなトーナメントの立ち上げを企画した。共同主催者とヘッドジャッジに、現在のDCI認定レベル3ジャッジである若月 一裕氏を招き、運営をスタートさせたのが2003年。それが、現在はDCI認定LV1ジャッジである荻原氏が主催を勤める「龍王戦」の始まりだった。


プロツアーベネチアTop8の鹿島。地元最強プレイヤーの1人だった。

埼玉のMTG黎明期に活躍し、2度のPT出場経験も誇る清水

今回の川越最終開催には、川越で腕を磨き続け、日本人2人目のプロツアーサンデー経験者となった鹿島 彰浩(埼玉)、埼玉ゆかりのトーナメント「所沢コンベンション」「方舟盃」の合同トーナメントで、日本選手権以外の公認トーナメントでは(おそらく)日本初のリミテッド・スタンダードの混合レギュレーションで行われた「M-1 埼玉最強位決定戦」優勝者の清水 朗尋(埼玉)ら、懐かしい顔ぶれが並んだ。皆、最後の川越に別れを告げるべく集まったのだ。

今後は、引き続き朝霞台での開催に加え、浦和と南浦和へ進出して“龍王戦”は継続される。また川越でも同会場跡地に新たな施設の再建計画も出ている。また“龍王戦”が川越へ戻ってこられるのか、それはわからないが、川越での“龍王戦”の活動にはピリオドが打たれることとなった。

ひとまず、川越でのMTGの歴史は幕を下ろす。しかし、そこで紡がれた物語と歴史は、「小江戸」と呼ばれ、親しまれる歴史深い町において、確かな足跡を刻んだのだ。

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